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おっさん、映画を見る

広告業界で働くITエンジニアなおっさんが、映画について語っていくブログ(ネタバレもあり)

全員が力を尽くし、全員が助かった。「人間」の凄さを感じたければ、本作を観るべきだ。 『ハドソン川の奇跡』レビュー

レビュー

こんにちは、おっさんです。

またしても大作、またしても良作。今年はほんとどうしちゃったんでしょうか。

正月に『オデッセイ』が出た後は、GWくらいまではすごく暗黒時代だった気がするんですけど、夏前に『デッドプール』や『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』が出てきて以降、本当に面白く、あるいは感動できる作品が続いている気がします。

そんななか、本日は2009年1月15日、米ニューヨークのハドソン川に航空機が不時着水した実話を元にした映画『ハドソン川の奇跡』を見てまいりました。

http://piacinema.xtwo.jp/contents/google/flyers/T01a_169616.jpg

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チェズレイ・サリー・サレンバーガー(Chesley "Sully" Sullenberger)機長について

普通映画のレビューというと、監督やキャスト、あるいはストーリーについて触れるのが定跡なのですが、本作についてはまずこの人物を紹介したいと思います。

チェズレイ・サレンバーガーは1951年生まれの航空機パイロット。愛称はサリー。

コロラド州の空軍士官学校を首席(最優秀飛行技量士官候補生)で卒業後、1973年にアメリカ空軍に入隊し、1980年に退役したというキャリアを持っています。最終階級は空軍大尉。士官学校卒業後、軍に入隊するまでの間にパデュー大学で産業心理学の修士号も取得しており、また退役後にUSエアウェイズに入社してからも非常事態に対応するため心理学を学んだそうです。。

彼がこの「奇跡」を成し遂げたパイロットです。 この事件における管制官との交信記録は公開されているので、探せば動画等で聞くことができると思うけれど、実に冷静で、論理的に現状を分析し判断しているように思えますが、腕利きのパイロットであると同時に、心理学のエキスパートであることも影響しているかもしれません。

ちなみに本作のパンフレットではサリーのインタビューも載っているのですが、この中で彼は「あの時の私たちが、不自然なほど落ち着いていたというのは誤解」であると言っています。実際はストレスで大変だった、最初の数秒で自体がひっ迫していて大きな危機に直面していることがわかった、と。

同時にこれまで培った経験から学んだことを活かせば解決できる、と自信を持っていたことも語っています。

彼のインタビューは本作の原作になった自伝以外にも多数のメディア動画があるので見たことがあるかもしれませんが、謙虚で、でも少しだけ自信家で、実にインテリジェントなアメリカ人、という感じの人物だという印象を持っていました。

ところで、本作のタイトルについて、英名では彼の愛称から「SULLY」というのですが、日本語名もこっちにしたほうがよかったと思うんですけどね。確かに「ハドソン川の奇跡」という事実を描いた映画ではありますが、本作は人間「チェズレイ・サレンバーガー」本人の話だと思うのです。

まあ日本でサリーというと、どうしても魔法使いの女の子かそのパパになるから仕方ないのか

ハドソン川の奇跡」は、何が奇跡なのか

なぜこの事件が奇跡と呼ばれるのかも語っておく必要があるかもしれません。まずはこの映像を見てください。

※ちょっとショッキングな映像も含まれていますので、苦手な方は再生せずに以下の解説を読んでいただければ。


Air crash In the comores island caused by hijackers

これは1996年に起きたエチオピア航空961便ハイジャック墜落事件の映像です。

現代のジェット航空機というのは、できるだけ軽く作るためにおそらくほとんどの方が持っているイメージ以上に脆いつくりになっています。また、航空機の構造上、この事故のように翼に強い力がかかった場合(この事故では片翼が水面に接触して大きな抵抗が翼だけにかかっている)、その根元からもげてしまい、乗客席を含む機体本体が引き裂かれてバラバラになりやすいのです。

本作中でサリーと交信する管制官が、不時着水の判断を聞いたときに絶句し、もう一度意思を確認するように聞き直しているのですが、これはこの事故のイメージがあったためで、USエアウェイズ1549便と交信断絶後には「もう全員助からない、彼らと話すのはこれが最後だ」と思い込んだ、と本人が調査委員会のインタビューで答えています(映画内では描写されていないですが)。

同時に、水の特性もあります。

水は一見柔らかそうに思えるのですが、非常に強い表面張力のため、相対速度がある状態で接触すると、その硬度はコンクリートに勝るといわれています。ジェット機の速度を考えれば、不時着水は着陸どころではない危険な行為で、考えうる限り最悪の選択肢だった、と多くの航空関係者が思っていた様子が当時の記録からは読み取れます。

後のシミュレーションでは、接触の瞬間の角度が重要で、11度前後でないと、浅すぎても深すぎても機体がバラバラになっていただろう、と言われています。サリーの技量と判断の確かさがここからも見て取れます。

なお、この着水の瞬間の映像も複数のアングルで残っているのでご紹介します。本当に、冗談みたいにキレイに着水に成功しているんですよね。

最後に、当日の気温です。2009年1月15日のNY市は気温マイナス6度。ハドソン川の水温が2度でした。 この季節にしては少しだけ温かく、前日も翌日も、ハドソン川は氷におおわれていたそうです。

この水温の場合、全身が浸かった状態で人間が生存できるのはせいぜいが数分程度といわれています。 映画好きな方であれば、『タイタニック』のラスト近く、主人公が海に消えていくシーンを思い出す方もいるかもしれません。

仮に短い時間であっても、ちょっとでも濡れてしまえば外気温でその箇所が凍り付き、凍傷を負うことになります。 この事件では重傷者が5名いましたが、多くは凍傷であったと思われます。

つまり彼らが助かるためには、この状態からの迅速な救助が必要でした。劇中でも描かれていますが、着水から最初の救助船が駆け付けるまでわずか4分半。その船は民間の通勤フェリー(隣接するニュージャージー州からの通勤客を乗せて往復)です。そして、救助が完了するまでの所要時間は、驚愕の24分でした。

この事故が奇跡と呼ばれるのは、乗客乗員すべてが、2度の生命の危機を乗り越えて生還したことに由来するのです。

彼らのインタビュー、どういう痛みを感じていたのか、その後のストレスの影響など、興味深いインタビュー動画もありますのでご紹介しておきます。

サリー以外にも活躍する人たち

映画でも描かれていますが、この事件においては客室乗務員が実に落ち着いて、その仕事を冷静に完ぺきにこなしたことで称賛されています。 またレーダーから期待が消失した直後に民間ヘリに目視捜索を依頼した管制官や、それにこたえてレポートを送り続けた2機の遊覧ヘリコプターパイロットも事態の把握に貢献しました。

通勤フェリーの船長はとあるTV番組において「僕は毎日ハドソンをみているからね」と謙遜していましたが、異常が起きた直後に乗客を乗せたまま救助に行く決断の早さがひかります。ちなみに、映画に登場する船長は驚くほど本人にそっくりで驚いていたのですが、これ本人の出演なんですね。そりゃそっくりだわw。

ちなみにこの時、通勤フェリーに乗っていた乗客たちも、手持ちの上着や毛布、温かい飲み物を渡して引き上げられた航空機の乗客たちに暖をとらせるという形で陰ながら貢献しています。

もちろん、完ぺきにコ・パイロットに徹して、わずか208秒の間にチェックリストを可能な限り実行し、結果をサリーに共有し続けることで彼の判断をサポートしたジェフ・スカイルズも忘れてはいけません。彼は今でも機長としてこの空を飛んでいます。

まさしく「全員が力を尽くし」た事件だったのです。9.11以降沈んでいたNY、そしてアメリカにとって、市民の勝利といえるこの一報によって、どれほど狂騒に陥ったのかは想像に難くありません。

類似の事例

本編とは直接関係ないですし、着水事故でもないのですが、どうしてもいくつかの事件を関連としてご紹介させてください。

ギムリー・グライダー - Wikipedia

事故の経緯は単なるヒューマンエラーというお粗末さですが、機長の判断と経験が乗客を完全に救った「もう一つの奇跡」の話です。

この時の機長が行ったフォワードスリップという操縦方法は、ハドソン川の奇跡の緊急不時着水時にも利用されました。もしこの奇跡がなければ、この事故から緊急時の空中機体制御の教訓が得られなければ、NYで大惨事がおきていた可能性は非常に高かったと思われます。

【2016.09.28追記】id:DaysLikeMosaicさんよりコメントいただき、USエアウェイズ1549便についてフォワードスリップを行っていない可能性のご指摘を受けました。確かにギムリー・グライダーの日本語版のみの記述のようです(英語版では「glided to a safe landing in the Hudson River」となっており、滑空させた事実しか書いておらず、そもそもUSエアウェイズ1549便についての記事の英語版には当該操作については未記載)。したがって上記記述については訂正させていただきます。大変失礼いたしました。

タカ航空110便緊急着陸事故 - Wikipedia

もう一つはやはり空中で全エンジンの推力をロストし、APUを起動させたのちに、川沿いの土手に緊急着陸したという事例です。 この時の機長もやはり元軍用機パイロットでした。生死の境を乗り越えた人というのは本当にすごい感覚を身につけるのだと実感させられます。

キャスト、監督について

本作の主演はトム・ハンクス。コメディ路線で俳優デビューしたのですが、1993年にエイズを取り扱ったシリアスなドラマ『フィラデルフィア』、そして1994年に『フォレスト・ガンプ/一期一会』で2年連続、アカデミー主演男優賞を受賞するという快挙を成し遂げています。もう説明不要の名優ですよね。今回も周囲からのストレスに耐えて自らの正しさを証明するために戦う男を演じているわけですが、本当にこういう役が似合う。

本作でも髪を白く染め、衣装スタッフが当時の制服をそろえるといった尽力もあって完全にサレンバーガー機長になりきっています。パンフレットでサリーの奥さんが驚いていましたね。

監督はクリント・イーストウッドB級映画の端役しか与えられないという不遇の時代を過ごした後、西部劇などで人気の役者になりました。監督転向後は“最後の西部劇”『許されざる者』『マディソン郡の橋』『ミスティック・リバー』『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』などなど、とにかく列挙するのに苦労するほど名作を多数生み出しており、オスカー像いくつとったんだ、という現代を代表する名監督です。

独自の人間哲学というか、彼一流の視点で人間をヴィヴィッドに描くことに長けた監督、というのが僕個人の勝手な印象。本作でもやはり人間を抉り出してきました。

最後にご紹介するはチェズレイ・“サリー”・サレンバーガー。 役者ではありません。本作の原作者にして、事故機の機長。彼もまた、本作のある場面で本当に印象的な登場を果たします。正直、すこし泣きかけました。

本作のストーリー

2009年1月15日、USエアウェイズ1549便がニューヨーク・マンハッタンの上空850メートルを飛行中、バードストライクによって全エンジンが停止、コントロールを失う。機長のチェスリー・サレンバーガーは必死のコントロールと苦渋の決断の末、ハドソン川に機体を不時着させる。 結果、1人の犠牲者も出さず、この奇跡的な生還劇は“ハドソン川の奇跡”として全世界に報道され、サレンバーガーは一躍、国民的英雄となる。 しかし、サレンバーガーはその後、国家運輸安全委員会の厳しい追及を受けることになる。

ハドソン川の奇跡 (映画) - Wikipedia

バードストライクとは、鳥との接触事故のこと。

ジェットエンジンはその構造上、正面から鳥と接触すると空気と一緒に取り込んでしまい、タービンブレードが破損して推力を喪失するという事故が起こりえます。本作の機体はこのバードストライクによって両方のエンジンの推力を同時に完全喪失するという、航空機史上前例のない事故に巻き込まれました。

機長のチェスリー・サレンバーガーは管制塔と交信しながら、苦心の機体コントロールを見せますが、飛び立ったラガーディア空港、近隣のティターボロ空港には距離が持たないと判断、真冬のハドソン川に緊急不時着水をすることを決断、これを成功します。 それは奇跡というにふさわしい操縦であり、機長は一躍アメリカの英雄となりました。

ところが、アメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)による事故調査の過程で、左のエンジンにはわずかな推力が残っていたというデータが示されます。そのデータをもとにしたシミュレーションでは、ラガーディア空港でもティターボロ空港でも戻れたという結果も出てしまい、機長は「誤った判断で乗客を無用な危険にさらした」可能性を追求される立場に。

自分は経験から正しい判断を下したはずだ、しかしもしそれが間違っていたら……

調査への対応と、それの真逆をいくように英雄として扱ってくるマスコミ対応。機長は板挟みのストレスの中、最後の公聴会で自らの正しさを立証すべく、自らの席に座ります。

その公聴会で自らの判断の正しさを証明する際、サリーは言います。 「全員が力を尽くし、全員が助かった」と。

事故の紹介でも触れましたが、本作は英雄の話ではなく、NYに住んでいるごく普通の、ただの人たちが力を合わせたことで起きた奇跡の話なのです。

なお、本編終了後、スタッフロール中の映像は必見です。彼らこそ、この事故で生き残った人々が、未来を与えられたのだというまさしく生きた証拠なのです。

最後に

鑑賞後、座席から立ち上がるのがおっくうに感じられるほど打ちのめされた感じを受けました。周りを見渡すと、涙をぬぐっている人の姿をあちらこちらに見ることができます。

帰宅して、この記事を書くにあたりいろいろ調べたのですが、本作の上映時間が96分ということに何よりも驚きました。上映時間が2時間を超えるような“大作”映画が大手をふるっているなか、これは異例なほど短い。

この密度とこの感動。「人間」の凄さを感じたければ、本作を観るべきだと思います。

機長、究極の決断 (静山社文庫)

機長、究極の決断 (静山社文庫)