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おっさん、映画を見る

広告業界で働くITエンジニアなおっさんが、映画について語っていくブログ(ネタバレもあり)

あの時代を力強く生きた人たちのエピソードを2つ、紹介しようと思う 『この世界の片隅に』によせて

こんにちは、おっさんです。

公開から少したってしまいましたが、まだまだ動員を伸ばし続けているアニメ映画『この世界の片隅に』を見てまいりました。

http://konosekai.jp/wp-content/themes/konosekai/images/ogp.jpg

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# 『この世界の片隅に』ストーリー

1944年(昭和19年)、絵が得意な少女浦野すずは広島市江波から呉の北條周作のもとに嫁ぐ。戦争で物資が不足する中、すずは不器用ながらも懸命にささやかな暮らしを守るが、軍港の呉はたびたび空襲を受けるようになり、1945年(昭和20年)6月、すずも空襲後の不発弾(時限爆弾)の爆発で右手首から先を失う。見舞いにきた妹のすみからお祭りの日に帰ってくるよう誘われるが、その当日8月6日、呉では閃光と轟音が響き、広島方面からあがる巨大な雲を見る。8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは、今まで信じていた日常を裏切られたくやしさで泣き崩れる。翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、祖母の家に身を寄せていたすみと再会。両親は亡くなり、すみには原爆症の症状が出ていた。廃墟となった市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻るのだった。

出典:この世界の片隅に - Wikipedia

感想や考察はもう相当数が書かれていますので、深くは掘り下げません。

そこで、あの時代に生きた人たちの、力強く、そしてちょっと変わったエピソード紹介記事にしてみようと思います。

原爆の碁

1945年(昭和20年)8月6日といえば、本作の主人公であるすずや彼女の演者が被災した広島原爆の日として知られていますが、この日、広島市の郊外である囲碁の対局が行われました。第3期本因坊戦第2局のことです。


囲碁棋譜再現295局目 ●岩本薫 ○橋本宇太郎 原爆下の対局 第三期本因坊戦決勝第2局 Go Game

この時の日本は敗色が濃厚となり、また作中に描かれたように、軍港のある呉にも度々空襲がくるような情勢でした。そういった社会情勢の中でも、「本因坊の灯を消してはならん」、ひいては日本の文化を戦火に喪ってはならん、と立ち上がった人たちがいます。この時点で日本棋院の東京本院は、1945年5月25日の東京大空襲により既に焼失していました。

この第3期本因坊戦ですが、第一局は7月23日、24日、25日の3日間、城島市内中心部で行われています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/HiroshimaNakajimaArea.jpg

画像中央やや上、縦長で、他の建物より一段高い建物に隣接する別邸で開催された、とされています。

この画像上部、T字にかかる橋は、本作『この世界の片隅に』の冒頭およびラストシーンで、周作とすずのエピソードが描かれた、あの橋です。

第3期本因坊戦第2局は、こうした悪化する情勢の中、対局者である岩本薫七段(挑戦者)が危険であると進言し、この意見を取り入れる形で対局場所を郊外に移して行われました。

「いきなりピカッと光った。それから間もなくドカンと地を震わすような音がした。聞いたこともない凄みのある音だった。同時に爆風が来て、窓ガラスが粉々になった。(中略)ひどい爆風で私は碁盤の上にうつ伏してしまった(以下略)」

と、当の岩本薫が後に回顧録で語っています。

出典: 原爆下の対局 - Wikipedia

この対局ですが、ガラスを片付けて碁盤を整え直したら、そのまま続行したとのこと。なんとも剛毅な話ですが、それだけ”文化の灯を絶やさない”という関係者の気概が伝わってくるとも思えます。そしてこの対局は後に「原爆化の対局」「原爆の碁」と呼ばれるようになりました。挑戦者であった岩本は一線を退いたあとも世界を回って囲碁の普及に努めるのですが、最期に設立したシアトルの囲碁センターにはこの時の対局譜がレリーフとして残されているそうです。

作中でもすずさんが「暴力に屈して生活を喪ってはいけない」と激情にかられるシーンが有るわけですが、そうしたシーンに通じるエピソードだと個人的には思います。

名も無き一兵隊が生活を築き上げた話

もう一つのエピソードは世間では知られていない、一人の兵隊のエピソードです。

その人物は幼い頃から京都の商店で奉公をし、計算などの技術を身に着けます。その後支那事変(現在でいう日中戦争)に従軍して中国内地で除隊、民間人としてその地の開拓に努めますが、敗戦を迎えてしまい、着の身着のままで中国大陸から脱出。すべての財産を喪ってしまいましたが、商人に奉公した経験を活かして商売を始め、後に東京に居を構えて一人の女性と知り合い、結婚しました。現在では彼の孫、ひ孫の代が東京を中心として生活をしています。

中国の生活について

  • 自分はあの土地の人達、あそこの生活に溶け込もうとした
  • 中にはひどいことをした日本人もいたかもしれないが、そうした連中はみんな戦後の脱出で恨みを買って通報された
  • 自分が脱出できたのは、向こうの人と対等に交流し、わかり合って助け合えたからだ。脱出のときも彼らが協力してくれた

と本人が語っていました。

普通であればいつ投げ出しても、あるいは脱落して死んでしまってもおかしくない生活をくぐり抜け、さらには東京に家をたてることが出来たうえ、親戚が東京に出てくる際の旗頭としてずっと働いて、そして孫達まで生活することができる拠点を築き上げた。

名前は知られていませんが、立派な人生を力強く送った人物です。まさしく「知らない土地で生きて、この世界の片隅で出会った」すずさんのような生き方を体現した人だと思います。

数年前に鬼籍に入ってしまいましたが、彼は私の尊敬する人物であり、自慢の祖父です。

まとめ

個人的に本作を見た感想として、本作のテーマについて「生きるということは見知らぬ土地でも、居場所を見つけ、食べ物を食べ、そして人の輪に交わって、文化や生き様を継承していくことだ」と感じました。

今年の中でも上位に位置する感動作の記事として、ちょっと変わった形で書かせていただいたわけですが、いかがでしたでしょうか。