おっさん、映画を見る

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正月明けにはちょうどよい、あまり考えずに見れるアニメ 『ポッピンQ』レビュー

あけましておめでとうございます。おっさんです。 2017年もあけて一週間、仕事に戻って憂鬱、という方も多いのではないでしょうか。

そんなときこそ映画見にいきましょうよ、2時間程度ではありますが、その間は現実を忘れて物語に没頭すればいい具合にストレス解消できますから。多分。

ということで、新年一発目は東映アニメーションの60周年記念作品として昨年末に公開された『ポッピンQ』になります。

http://www.popin-q.com/img/top/img_main01.jpg

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東映アニメーションについて

本来ならば早速作品にふれていくところですが、本作は東映アニメーションの60周年記念作品プロジェクトとして制作されたオリジナル劇場アニメということで、制作を担当した東映アニメーションについても少し触れてみたいと思います。

東映アニメーションは1956年に東映が日動映画を買収することで設立されたアニメーション制作会社です。それまで戦後日本の劇場用長編アニメーションは事実上の母体となった(発足当時の35名の社員はほとんどが旧日動の社員)日動映画がほそぼそと作っているくらいでしたが、この合併を機に、商業用のキャラクター性豊かなアニメ作品が花開くことになります。

以前の東映アニメーション制作作品といえば、ドラゴンボールシリーズに代表されるスピーディでパワフルなバトル描写などが特色でしたが、近年ではプリキュアシリーズなどに見られる女児向けの映像描写、特に3Dモデルのダンスなどに定評があります。とはいえ初期のプリキュアシリーズはドラゴンボールスタッフが多く関わった事もあってバトル描写も秀逸で、いわゆる「魔法少女もの」とは一線を画した作品となっていましたが。劇場で視聴した女児が泣き出す関節技ガチバトルってどうなのさ。

ということで、本作も比較的女児向けなのかもしれない、いや、とはいえ60周年記念作品プロジェクトということなので、ある程度全年齢向けに作られる作品になるかも、といろいろ予想しながら劇場に向かったわけです。

参考: 東映アニメーション - Wikipedia

『ポッピンQ』について

さて、そんな東映アニメーションの60周年記念作品プロジェクトが本作『ポッピンQ』なわけです。最初に書いておきますが、わりと全力で女児向けアニメーション作品になっていました。

ストーリー

通過点でしかないと思っていた卒業式を目前に控え、中学3年生の伊純は前に進めずにいた。そんな時、海で美しく輝く「時のカケラ」を拾った伊純は、不思議な世界「時の谷」へと迷い込む。そこで、同い年の蒼、小夏、あさひ、そして「時の谷」に住み「世界の時間」の運営を司るポッピン族と出会う。「時の谷」と「世界の時間」が今まさに崩壊の危機に瀕していた。 危機を脱するには、伊純たちの持つ「時のカケラ」を集め、心技体を一致させた「ダンス」を踊るしかないという。迫りくる危機と、ポッピン族の厳しいダンス指導に戸惑う伊純たち。そんな中、ダンス経験者の沙紀が現れるが……。 「時のカケラ」に導かれた5人はダンスで世界を救えるのか?そして、無事に卒業できるのか?

出典:ポッピンQ - Wikipedia

ストーリーラインとしては、ポッピン族のすまう「時の谷」を崩壊から救うため、ひいては自分たちの住む世界の時の流れを護るために「勇気のダンス」「奇跡のダンス」を身につける過程で、中学卒業直前の少女たちが自分たちの壁に気づき、乗り越えていく、という王道の作り。

まあなぜダンスで世界が救えるのか、という細かいツッコミは無粋というものでしょう。それで救えるなら身につける。それが東映アニメーションの作品というものです。

ということで、多感な世代らしいぶつかり合いを経たりしつつも、少しづつ結束を高めていく主人公たちはわかりやすく感情移入できるんじゃないでしょうか。

難点はといえば、王道過ぎて話としては特に目新しさや面白みがない、というか。まあ「ダンス」という一発芸で全体をくくろうとした弊害かもしれないですが。

本作の魅力

近年の東映アニメーション作品の十八番ともいえる、3Dモデルによるダンスシーン、そしてマスコットキャラクターの可愛さがやたらと光ります。

反面、バトル描写はよく動くものの、以前の「見てて痛い」感じはないですね。同じ東映アニメーション作品のプリキュアでは、“既存の少女向けアニメから脱却するためにはじめたシリーズなのに、時を重ねる毎にこっちがスタンダードになってしまい、倫理観を求められるようになった現状を打破したい”とスタッフがインタビューに答えていましたが、劇場版では大きな冒険はしにくいということかもしれません。

ダイジェスト感あふれるシナリオ

ここが最大の問題だと思うのですが、全体的になんかやたらとダイジェスト感があふれるシナリオなんですよね。例えば主人公たちが壁を乗り越える話として見ても、実際に劇中で明確に壁を超えているのは主人公である伊純と実質的なヒロインである沙紀くらいのもの。

他のキャラクターたちもそれぞれの個性にあった役割の割当はあるのですが、成長という観点からいうと特に何もしていない、という。みんなしたり顔で「わかってますよ。自分も同じだったから」みたいな感じを出していますが、君ら何も乗り越えてないじゃん、という。ま、きっと色々あったんでしょう。描写されていないところで。

なんだか1年もののアニメの1クール目を総集編としてまとめました、みたいな感じだなぁ、というのが正直な感想でした。途中に出てきた敵キャラも、目的がよくわからないまま退場していったし。

……と、思っていたのですが。

まさかのCパート

最近の映画では、EDのスタッフロールあとに短いサービスシーンがあることは珍しくないのですが、本作のそれは「これを見ないとこの映画を見たことにならないだろう」というくらいに重要なものでした。

あの敵もそういうことでしたか。

つまりは本作はプロローグ。もっと大きなくくりで世界観があって、その序章の映画ということだ、と納得させられました。他はともかく、このCパートは本作の評価できる点だと思います。これをまさか劇場版オリジナル作品でやるか、という意味で。

まとめ

新年1発めにまさかこの映画の記事を書くことになるとは思いませんでしたが、まあ意外性もあってよかったんではないでしょうか。 休みボケで重たい映画はちょっと見たくないなぁという状況で、これくらいわかりやすく王道なシナリオだというのもちょっとありがたい。

ところで、1年モノのアニメのダイジェストのような作り、こまかいツッコミを無視するような設定、そして“This is only the beginning.”なCパート。

なんか91年くらいにこういう映画見たことあるんですが!